2017年11月30日
どこか遠くへ
世界には痛ましい事件があふれていて日々心を痛めているのですが、またしても悲しい事件が起きてしまいました。
「新幹線に乗りたくなって」と品川から博多まで無賃乗車をした男がつかまったというニュース。
57歳、住所不定、無職というあたりもしんどいですが、切符がないことを車掌に問われた時に押し黙ってしまい何も言い訳ができなかった点、逮捕時の所持金が10円だった点、など、切なさに満ち溢れています。
どこか遠くへ行きたかったのでしょう。
後先を考えずに破滅的な衝動に身を任せてしまうその姿は心理学で言うタナトスにも通じるものですが、57歳、住所不定、無職、所持金10円、と、破滅を望んだというよりはもうとっくに破滅していて………、今回の事件はそののっぴきならない破滅っぷりに追い詰められた彼が起こした小さな叫びの現れであるかのように思うのです。
犯罪はもちろんいけないことなのですが、このおっさん
そんなに悪い人ではない気がします。
刑務所でもどこでもいいんで、あったかいごはんを食べられることを祈ります。
2017年11月24日
自信
「自信が持てないんです」
といった悩みを聞くことは多い。
自分自身もっと自信が持てればいいのになぁと常々思っていたのだけれど、根拠もなく自信過剰になってしまうだなんてチョー恥ずかしいし、自信を持っちゃう根拠があるほど努力してるわけでもない。
本当の意味でのプライドは努力を惜しまない
なんて言葉もありますが、結局のところ「自信」というものは文字通り
「自分を信じる」
ことであって、約束を守らない人のことはなかなか信用できないように、
自分で決めたこともやれない自分を信じることはなかなかできない。
結局自分で決めた決まり事をしっかりとやりぬいていくことが「信じられる自分」=「自信」に繋がっていくのでしょう。
人から信用を得ることが難しいように、それを何度も何度も繰り返すことが、難しいけれど「自信」を正しく育てる方法なのだと思う。
明日の自分を信じられるように、今日やれることをやろう。
明日もそうしよう。
2017年11月17日
学び
人の育て方に迷った時には自分に質問をするのだ。
「この体験を通じて相手は何を学ぶだろうか?」と。
そうすれば必ず答えが見つかるだろう。
アルフレッド・アドラー
最近はやりのアドラー心理学。
他人の考え方感じ方は降る雨のようなもので、止めることはできない。と、他人を操ることはできない。と言いながらもそれでも相手の学びを考えて行動しなさいと教えるアドラー。
人に何かを教える時に、この「相手が何を学ぶか」という視点は常に離さず持っていなければならないと思う。
「どう教えるか」に集中してしまい、自分の知識をひけらかして悦に入るような教え方をしてないか、相手の表情を汲みながら急がずに急かさずに教えられているか。
「相手が何を学ぶか」
という視点を通じて自らも「教え方」というものを学んでいきたい。
2017年11月14日
過去を追うな、未来を願うな
過去を追うな。未来を願うな。目の前のお客様に満足を与えること、ただそれだけです。
やたらとかっこいい言葉で始まった今回のミマツチラシ。
これはお釈迦様の言葉からの引用ですね。
過去を追うな。未来を願うな。
過去はすでに捨てられた。未来はまだやって来ない。
だから現在のことがらを、現在においてよく観察し、揺らぐことなくどうずることなく、よく見きわめて実践すべし。
ただ今日なすべきことを熱心になせ。
誰か明日の死のあることを知らん。
明日もこの命があるかどうかは誰もわからない。
未来を憂えず過去に囚われず、ただ今を見つめて今なすべきことをしなさい。
今なすべきこと、ってちゃんとわかっていることも多いのですけれど、それをまっすぐに実行できているかというとそりゃもうごめんなさいすいません、とわが身を自省と共に振り返ります。
人生はすべて二つの事からなりたっている。
やりたいができない。できるがやりたくない。
というゲーテの言葉も好きなのですが、やるべきことがやりたいこと
になるように、楽しく前向きに生きたいものですね。
2017年11月13日
やさしい嘘
お金は大切です。
その圧倒的な変換率に、時に人の気持ちですら買えてしまうのではないかと感じてしまうお金。
そして往々にして人の気持ちまでも、表面上は買えてしまう、変えてしまうその魔力によって、お金が介在する関係というものは時に相手の真意を見誤らさせます。
で、話は変わるんですけれど、オトコって多かれ少なかれ、女性に対して幻想を抱いているものなんですよ。
女性に対して(純粋であってほしい)
だとか、(ピュアであってほしい)
だとか、(無垢であってほしい)
だとか、(イノセントであってほしい)
だとか、
まぁ清純であってほしい的なことをおこがましくも思っているものなのです。
ネット上でしばし見かける女性を揶揄する書き込みは、世の女性達に対して(こうあってほしい)という希望を打ち砕かれた失意の中で傷ついたこころが攻撃性として発露してしまった結果なのですね。
んでもって、そういった視点から見ると女性が金に目がくらんでいる姿とか、あまり見たくはないわけなのですね。
お金は大切です。
けれど、あまりそれが全てだとは思わないでほしい、少なくともお金のために嘘をついているとか気づかせないでほしいなぁと思います。
まぁ私はお金がそもそもないので杞憂な気もしますが。
残酷な真実よりも、やさしい嘘が好きです。
上手に騙してくださいね。
2017年11月09日
そこにいて、そばにいて
貧困家庭について書かれた記事を読んで思うところがあったのでひとつ。
特に
「同じ貧困家庭の子でも、けなげに頑張る子は応援してもらえるけど、ヤンチャな子はメディアに取り上げてもらえないですよね。貧困に限らず、『子ども観』の問題なんだと思います」
「例えば不登校でも、リストカットするような子が学校に来たら大人は『よく来たね!』って喜ぶけど、ゲーセンばっかり行ってるヤンチャな子が私服で学校に来たら『帰れ!』って言うんですよ」
という部分がささった。
日々フクシの仕事をしているわけだけれど、愛嬌のある人、頭のいい人、かっこいい人、けなげな人・・・・そういった「容易く力になりたい、と思える人」もいれば、そういった とりえ のようなものがなかなか見いだせない人もいる。
もちろんそこに支援者として差をつけることのないようにとは思うのだが100%同じように接することができてはいないかもしれないと思う。
もうずっと以前に親戚と
「お金があったり、容姿に恵まれていたり、やさしかったり、力があったり、賢かったり、誠実だったり、そういった魅力のある相手にやさしくすることは簡単だ。
けれど、貧しく、美しくもなく、意地悪で、不真面目で、怒りっぽくて・・・そういった、何も持っていない人にやさしくすることは難しい。」
そんな話をしたことがある。
返ってきた答えは
「かわいくもなく、マジメでもなくて、キレやすくて、卑怯で、そんな人にやさしくする必要がそもそもあるの?」
だった。
けれど、そういった、なにももっていない人こそ助けを必要としていると思うのだ。
なにかをあげちゃおう!とか、与えてやろう!とか、おこがましいことは思えないけれど、
まずはそこに居て、そばに居て、楽しく過ごす時間がそこにあるといいな、と、思っている。
2017年11月07日
バカ
人生を楽しむコツは、どれだけバカなことを考えられるかなんだ。
(ルパン三世 くたばれノストラダムスより)
バカげたことを考えることをやめてしまうのは簡単なのだけれど、バカげたことの中にも人生の楽しさの50%くらいはつまっている気がする。
それを「ばかげてる」といって味わわずに切り捨ててしまうのって、もったいないと思うのです。
ポテトチップとかキャラメルとかを、「栄養がない」と言って毛嫌いするのと似てますね。
「栄養」に気を取られ過ぎて、「美味しい」というもうひとつの食の価値を忘れてしまっている。
同様に「ばかばかしい」と切り捨てるのは、
「効率」に気を取られ過ぎて「楽しい」というもうひとつの人生の価値を忘れてしまっているのかな、と。
もっともっと、頭に浮かんだばかばかしいことを実行していきたいと思います。
人に迷惑かけない程度にね。