2017年12月28日
年の瀬
本日で仕事も最終日。
一年の計が元旦にあるのなら、一年の答はきっと年末にあるのでしょう。
「良い答えが出せた」と自信を持って言えはしないのだけれど、来年はもっと良い方向へ、と気合を入れるくらいには落ちずにやってこれたと思う。
いろいろな人に助けられてなんとかやってこれました。
今年一年お世話になりました。
来年もよろしくお願いします。
それでは良いお年を。
2017年12月26日
デモと保守
思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。
マザー・テレサ
名言というものはいつも至極もっともで、自分を戒めたり奮い立たせたりするために手に届くところに置いておきたいものなのだけれど、どれだけ素晴らしい言葉でもやっぱり四六時中気に留めて生活をすることなんてできないのです。
上に挙げたマザーテレサの名言にもあるように、思考に気を付けよう、言葉にも気を付けようと思うのだけれど、気が付けばすぐに言い訳をしてしまう。
「でも」「だって」
って。
保守的でいたいだなんて思ったことなくて、このままでいいとも思っていないのだけれど、思っていなかったはずなのだけれど、
(なまけたい)(めんどうくさい)(楽したい)
ともすればそんな楽な方に流されていて、それが「でも」という言葉に出てしまっているのだろう。
「デモンストレーション」の方の「デモ」は、保守的な時も革新的な時も、はたまたリベラルな時にだって使われるものだけれど、
言葉の「でも」を使うときは、いつだって攻める気持ちの時でいたいと思う。
2017年12月20日
ある青年の死
記事にまとめる暇がないけれど載せておきたい。
ハートネットTVで「ある青年の死」という番組が放映されました。
こちらの記事が紹介として素晴らしいのであげておきます。
たとえば「骨折してギブスをしている」「糖尿病で定期的に通院し、毎日インシュリン注射をしている」という状態の人々に対して、骨折や糖尿病が「その人」そのものになってしまったとは、通常考えられないでしょう。しかし精神障害・精神疾患では、病気が「その人」そのものになってしまったかのような受け止め方が、未だに一般的です。なぜでしょう?
以前精神科病院に研修に行った話でも書いたのだけれど、日本の精神科医療はまだまだ人権侵害がまかり通っていて、この事件はその一端が現れたものなのだと思う。
人手がない
薬が効かない
だから仕方がない
そこで止まってしまうことだけは避けたい。
まずは少しでも多くの人に知っていってほしいと思う。
この病とそれを取り巻く日本の現状を。
ハートネットTVで「ある青年の死」という番組が放映されました。
こちらの記事が紹介として素晴らしいのであげておきます。
たとえば「骨折してギブスをしている」「糖尿病で定期的に通院し、毎日インシュリン注射をしている」という状態の人々に対して、骨折や糖尿病が「その人」そのものになってしまったとは、通常考えられないでしょう。しかし精神障害・精神疾患では、病気が「その人」そのものになってしまったかのような受け止め方が、未だに一般的です。なぜでしょう?
以前精神科病院に研修に行った話でも書いたのだけれど、日本の精神科医療はまだまだ人権侵害がまかり通っていて、この事件はその一端が現れたものなのだと思う。
人手がない
薬が効かない
だから仕方がない
そこで止まってしまうことだけは避けたい。
まずは少しでも多くの人に知っていってほしいと思う。
この病とそれを取り巻く日本の現状を。
2017年12月14日
すっぴん
すっぴんバーなるものが渋谷でOPENした、というニュース。
すっぴんに癒される男性が多い、という点に目を付けたあたり、なかなかのアイデアだといえるでしょう。
そもそもなぜすっぴんに惹かれる男性がいるのか、というあたりを考えたいと思います。
すっぴんの逆はもちろん厚化粧、になるわけなのですが、「化ける」という字が入っていることからもわかるように化粧でガラリと変わってしまう人っています。
ファンデやグロスくらいならまだしもマスカラ、アイプチまでいくとそれこそ別人じゃないか!というレベルに変身することもありますからね。
男からするとこれはまぁ、(騙された)という感じが否めないわけなのです。
上手に化粧がされていれば「美」の基準からすれば当然にすっぴんよりも美しくなるわけなのですが、その「騙された感じ」が嫌なのでしょうね。
すっぴんならば最初から騙される心配がない、というわけです。
騙されたくないのですね。
騙され続けてきた人は特に。
2017年12月12日
遺伝
朝の5時、洗濯物を干しながら考える。
洗濯後の湿ったひっくり返ったシャツの袖を元に戻しながら考える。
どうしてどの靴下も片方しかないのだろう
と考える。
週末に子供二人を買い物に連れて行き、帰ってきたら片方しか靴下をはいていなかったのがひとり、両方はいていなかったのがひとり。
「あんたは靴下をはかせても毎日どっかに脱いで帰って来たものよ」
という母の言葉を思い出す。
片方だけなくすとは限らない。
片方しかない靴下の陰では両方とも捨て置かれ、忘れ去られている靴下たちがいるのである。
そう考えると自分はいったいどれだけの靴下をなくしてきたのだろうかと考える。
そしてこうちの子たちはこれからいったいどれだけの靴下をなくしていくのだろうかと考える。
全部同じデザインの靴下にしよう。
そう思った。
2017年12月06日
親の心子知らず
朝の5時、洗濯物を干しながら考える。
洗濯後の湿ったひっくり返ったシャツの袖を元に戻しながら考える。
両手両足更には靴下、きれいにひっくり返って二人分、計12着をひっくり返しては干しながら考える。
そういえば、実家にいた時には洗濯ってしたことなかったな
と。
何も考えずに自分が脱ぎ捨ててきた、もれなくうらっ返しに脱ぎ捨ててきた服を毎日きれいに洗って干して、袖をひっくり返してくれていたのは母であり、いったい自分は母の人生のうちのどのくらいの時間を、「湿った服をひっくり返す」という行為に浪費させてきたのだろうかと思う。
親のありがたさというものは、一人暮らしをしないとなかなか気づかないもので、あたたかい家のありがたさも、シャウエッセンの高さも、洗濯物をひっくり返す面倒くささもなかなかわが身に降りかからないとわからない。
昨日で4歳になったうちの子もいつかはそのありがたさを知るのだろう。
あぁ、いつもひっくり返してくれていたんだなぁ、と親のありがたさを知るのだろう。
けれどこれだけは言っておきたい。
毎日洗濯物をひっくり返していたのはママじゃなくてパパだからね!!
2017年12月04日
発明
世の中には時々嫉妬してしまうほどにナイスアイデア!な発明があるもので、最近特にぐっと来たものの一つに一般道から入れるサービスエリアってのがあるんですね。
これ、うちの近所にもあるんですけれどものすごい発明だと思うんです。
ただたんに一般道からサービスエリアに道をつなげただけ。
ただし一般道からは人は入れるけれど、車は入れない。
そうすることでサービスエリアのサービスを高速に乗らずにも楽しめるわけなんです。
ちょっとしたことなのだけれど、今まで誰もやっていなかった。
このすごいところは費用がほとんどかかっていない、という点ですね。
これほどローコストでメリット大なアイデアってそうそうないです。
ユニバーサルスタジオジャパンのハロウィンイベントにも通じる素晴らしい発想。
あれもコストをかけずに人を呼ぶにはどうしたら良いのか、と知恵をしぼった結果産まれたアイデアだそうです。
身体やこころにハンディのある人にも十分にやれてお金にもなる!
そんなアイデアが絶対にあるはずだ!
そう思って今日もうんうんうなってます。