2018年01月17日

笑いとタブー

ホーキング青山という「障害者芸人」が「笑いとタブー」「笑いと差別」をどう考えるかについて語ったこちらの記事。



『バリバラ』は、障害者の思いを改めて世間(の一部)に届けたという意味で一定の意義はあるのだろうが、一方でそういう番組が作られ、『刺激的』『タブーを破った』と評価される状況にはどうしても違和感を抱いてしまう。だって、もうそんなタブー、ずっと私は破ってきたし、他にもそういう人は数多くいた。それでも常に、障害者を扱うことそのものが『タブーを破った』扱いになっている。どこか変なのだ。

 何度も何度も、私やいろいろな人が『タブー』を破る。そのたびに、世間も『なるほど』と言う。

 それからしばらくすると、また何もなかったかのように『タブー』が破られる。

 あれ、その件、この前も話したよな? こっちはそう思うのだけれども、世間は気にせずに『タブーを破った』と評価する。そんな状況がずっと続いているのではないか。

『バリバラ』がスタートしたのは、2012年だ。それからずーっとタブーを破っているのか。タブーって一体何枚あるのかね、と嫌味の一つも言いたくなるではないか



と自著の中で語っている車いすのホーキング氏。

「タブーって一体何枚あるのかね」にはクスリときたし、もちろんタブーを破ってきたことを批判するつもりはないのだけれど、正直世間の感覚とのズレを感じずにはいられない。

「バリバラ」ひとつとってもどの程度知られているというのか。障がい者施設に勤めている職員ですら、知らない者は何人もいる。1個人が、ましてやホーキング氏程度の知名度の人間がたかだか数年タブーを破り続けただけで世間が変わらないと嘆くには早すぎるのではないかと思うのだ。


ウーマンラッシュアワーもそうなのだけれど、こと「お笑い」という職種では、笑かす相手に「必死さ」が伝わってはいけないと思うのだ。


ツイッターで中指立てた写真をアップしたり、強い言葉で煽ったり


持論に自信を持つのはいい。仕事を必死にやることだって、当然だ。

けれど、「笑える必死さ」なんてものがもしあったらそれはやっぱり嘲笑でしかなくって、お笑い芸人を名乗るのならそんな「必死さ」で勝負をするのはやめてほしい。



人をあざけったりしたくはないもんね。


  


Posted by こもれび屋  at 08:46Comments(0)井戸端会議