2018年03月07日
慣れ
ミゼットプロレスというものがある。
「小人プロレス」と言った方が通りがいいだろうか?
いずれにせよ40代以上の人にしかあまり知られていないかな。
文字通り「小人」がコミカルな動きと共にプロレスをする、というもので、初期の「8時だよ、全員集合!」の1コーナーとして人気を博すなど、一時は確かに市民権を得ていたエンターテイメントである。
軟骨形成不全などにより身長が伸びなかったレスラーが、その体を武器にしてエンターテイメントを作り上げる。
そんなミゼットプロレスだが、ある時を境にぱたりと見なくなった。
日本女子プロレスの前座として定番だったのだが、女子プロレスがTV放送される時でもその部分だけカットされる。
「障害者を見世物にするとは何事だ!」
とのクレームが入ったことがその理由だそうだ。
結果ミゼットプロレスは衰退し、今ではレスラーわずか2人を抱えるのみになり、どちらかが引退したらなくなってしまう状況まで追い込まれている。
「見世物」
遠い昭和の時代に「見世物小屋」というものがあった。
四肢欠損やシャム双生児など見た目にインパクトのある人を集めて文字通り「見世物」にしていた興業で、人身売買のようなことも行われたという話は聞く。
しかしそれになぞらえてミゼットプロレスをも「見世物」と言ってクレームを入れるのはどうなのだろう。
「エンターテイメント」という言葉をセレクトしない時点でクレームをつける側の差別意識が垣間見える。
「障害者をエンターテイエントにするとは何事か!」
うん。いいんじゃない?しても。
本人がやりたいのならなおさらね。
善意のクレームの結果、何が起きたか?
お茶の間に「小人」が流れることはなく
そういう人がいるということを知られることもなく
時は流れていく。
確かにそこにいるのに。
そして初めて見た人に驚かれてしまうのだ。
「見世物」になってしまう。
人と違っていたら、驚かれることはある意味当然だろう。
けれど、知っていれば、知られていれば、驚かない。驚かれない。
会う人会う人に驚かれる生活というのは、なかなかにしんどいものだと思うのだ。
みんなが驚かずに障がいというものに接していけるといいな と思う。