2018年03月30日

紳士



最近の世の中は世知辛いなんて言われますが、おちおち人助けもしていられない、というニュース。





7月9日午後4時00分ころ、利根郡みなかみ町藤原地内の川辺で、友達数人と水遊びをしていた小学生女児が足を滑らせ転んだところ、女児に対し手を伸ばしたという事案がありました。

■不審者の特徴
30歳くらい、身長170センチメートルほど、黒いゴーグルに全裸の男

不審者を見つけた時は、その特徴を覚えて安全な場所に避難し、すぐに警察に通報して下さい。

ぐんま安全安心情報





30歳くらい、身長170センチメートルほど、黒いゴーグルに全裸の男


黒いゴーグルに全裸の男



…全裸?




いや、服着ろよ!!!
せっかくの美談が台無しだよ!!!






まぁ、あったかくなってきましたしね。  


Posted by こもれび屋  at 08:15Comments(0)痛ましい事件

2018年03月29日

(再掲)悲しき喝采




人と接することがある以上、どんな仕事においても心にないことを言わなくてはならない瞬間というものはあるかと思う。


特にSST

Social Skills Training の略で、「社会生活技能訓練」や「生活技能訓練」などと呼ばれるもの。
主に対人関係を中心とする社会生活技能、文字通り社会で生活するための技術を身につけるということが目的のトレーニングなんだ。

で、段階にもよるのだけれどその大きな目的のひとつとして「人に受け入れられる事に慣れていく」ってことがあるのね。

それがさ

例えば 椅子にきちんと座れた とか ちゃんと重さを測れた とか程度のことができただけで・・・・いや、むしろちゃんとできていなかったとしても

「わぁーーー!!凄い凄い。よくできましたぁ(ぱちぱちぱちぱち)」

てな感じで誉め讃えたりするわけなんだ。


すごい!  だなんて思えんよ。

「赤ちゃんが初めて立つ事が出来た」

とかじゃなくって、いい歳した大人に対してそんなこと誉め讃えるのって、逆に失礼なんじゃないかとな。
そりゃ思うよ。

けれど、同時に

そうされることが必要な程に、他人に、社会に、受け入れられずにこれまで生きてきた

一見茶番に見える喝采を、受容を、それでも求めているほどに怯えきって生きてきた人がいることも事実で


心無き喝采。それは覚悟なき優しさにも似て、どことなく卑怯なものの気がしてしまうけれど、そんな目を閉じた時にしか見えないような小さな灯りを必要としている人の前で、黙ってしまう事は、正直だとしても、間違っている。


だから、建前でも追従でもなく、立場だけでもなく
こころから、喝采をあげようと思う。


こころにもない、喝采を。
  


Posted by こもれび屋  at 08:23Comments(0)

2018年03月27日

(再掲)絶望的な希望

古くからある精神病院に研修に行ったことがある。もう10年も前のことだ。



小さな小学校の校舎ほど、全40床ほどの閉鎖病棟。

頑健な男性看護師が中にいる別の男性看護師と連絡を取って、錠のかかった扉を開ける。


そこにはタバコと胃液が混じったような臭いが充満していた。


テレビは全部屋合わせて1台、タバコは1日3本、看護師がベルを鳴らすとぞろぞろと6人部屋から食事に出てくる。

風呂は週2回、就寝は夜8時、インターネットはもちろんケーブルで首を吊られると困るという理由から、あらゆる電子機器は禁止されていた。


夕方研修が終わり、閉鎖病棟にある唯一の出入り口から外に出る。

羨ましそうにうらめしそうに遠巻きに見るのは最近入院した人たちだ。

10年、20年と入院している人たちはもはや退院することすら諦めているかのようだった。


長く入院をしているうちに、家族は「彼らがいない生活」に慣れていく。

病状が安定しても帰る場所が、既にない。



「もう電話してこないでください」


電話ごしにかつての家族の声を聴いた。




結局研修が終わるまでの2週間、その小さな病棟に見舞いにくる者は誰もいなかった。

100坪もないだろう鉄格子入りの窓に囲まれたその建物は、まるで大きな棺のように見えた。


10代でここに入院して40年になるという彼が言った。



「ここで死にたい」



それ以前もそれ以降も、あれほど絶望的な希望を聞いたことはない。
  


Posted by こもれび屋  at 08:26Comments(0)

2018年03月26日

わびさび



日本には侘び寂びを愛する文化というものが根付いている。


それは原色よりも枯淡を愛する文化であり、あまりはっきりと物事を言葉にせずに、雰囲気で察する事をよしとする文化でもある。

その曖昧さがわかりづらさと捉えられてしまうようで、外国人が「日本人の考えていることはわからん!」と言うという話は一昔前にはよく聞かれた。


まぁ昨今では経済もグローバル化され、ビジネスシーンにおいてはむしろ自分の考えをはっきりと主張する事がよしとされるようになっているが、あくまで商売は商売。

生活の中ではまだまだ日本には「侘び寂び」の文化が密かに残っているのです。



とまぁこんなことを言うと、「今の日本のどこに侘び寂びが残っているんだ!」と憤る方もいるかもしれない。

確かに私自身そう思ってしまう時がないわけじゃない。電車に乗れば鏡を見ながら化粧に勤しむ女性を見かけるし、時にはおぱんつ全開で座ってる女子高生すら見かける。


もう「隠せ!」と。「恥じらいながら隠せ!」と。「むしろ恥じらいながら見せろ!」とか言いたくもなるわけなんですが、とにかく皆自分の欲望を「隠す」ことを忘れてるかのようにも思えてしまうのです。
「お前も隠せ!」とかいうご意見は本日受け付けておりません。)



さて、この「隠す」という行為は非常に重要な意味を持っていて、隠されるからこそドキドキする。隠されるからこそ奥ゆかしい、隠されるからこそ知りたくなる。

遠い昔、ヘアヌード写真集が解禁となった時、その代名詞ともなった宮沢りえの「サンタフェ」て写真集があったけれど、あれなんてあまりに堂々と毛が撮られてたもんだから、もーエロくもなんともなかった。駄作。カネ返せ。


と一例を出すまでもなく、物事はなにもかにも全部見せればいいってもんじゃない。隠匿の美、とでも言うべき「隠す」からこその素晴らしさ、というものも確かに存在する。


伝えたいことをそのまま言葉にせずに、あえて婉曲的な言葉を用いる。あえて情報を不完全なものにするからこそうまくいく。それこそが日本的侘び寂び文化の特色であり、その素晴らしさなのです。






そんなことに気が付いたのは、とある日の夜の事でした。




その日は翌日の仕事に備えてビジネスホテルなんぞに泊まることになったんですが、あーゆうホテルってばどこも似たようなつくりじゃないですか。

狭い部屋に机とベッド、ちっこいテレビと冷蔵庫にユニットバス、パックのお茶と聖書・・・。
もうびっくりするくらいどこからどこまでも一緒なもんで、着いて2分でやることがなくなった。

しょーがないからテレビでも見るかと目をやると、そこに一枚の番組表が。

その小さな紙きれの中に、現在の日本で失われつつあるわびさびが、確かに残っていたのです。





【団地妻 ア〇ル中〇し】
【パ〇パンスジッ娘 6人ロ〇ロ〇祭!!】





そう。それはいわゆるアダルトチャンネル専用の番組表でした。

本来ならそこには男の本能に訴えかけるタイトルが並んでいるわけなのですが、侘び寂びを知る者はそんな無粋な事はいたしません。なんとその番組名のほとんどにが混ざっているのです。


がなければただの下らないAVタイトル。そこにという奥ゆかしさを込めることで途端にそこに侘び寂びが産まれてくるのです。


上に挙げた2タイトルも、普通に考えれば「ナ」であり「出」であり「イ」であり「リ」なんでしょうが、それをあえて確定させないことでそこに(ひょっとしたら・・・)という揺らぎが生まれる。その揺らぎが興味を呼び、味わいを産むわけなのです。



【ビ〇リーヒルズ SEX白書】


これも素晴らしい。


「隠れてねーじゃねーか!!」



と言う方もいるやもしれません。
確かにこのタイトル、一見すると肝心の「S〇X」が隠れていません。しかしこれはあえてそうしているのです。一見隠す必要のない「ビバ〇ーヒルズ」、そこだけにあえて伏字を施す事により、いわば「頭隠して尻隠さず」な風情を醸し出しているのです。


もう一度よく見てみましょう。声に出して言ってみましょう。ベッドの上で恥じらいのあまり両手で顔を覆った女子〇生が浮かんでくるかのようではありませんか。


【念願の〇〇になった!産婦人科医編】


これとかもう既にAVかどうかすら定かではないですからね。
(念願の何に?何になったんだ?オイ!?)と別の意味でどきどきしてしまいます。



【三十路~最高〇2歳まで!!淫欲熟女特大号】


これもむしろホラーに近いですね。〇に入るのは5なのか?6なのか?ま、まさか8なのか!?9なのか!!?怖い・・・・・よかった・・・2桁でホントよかった。




【友達の〇親を8件連続やりまくる俺!】


これなんかもうこっちに対する挑戦状ですからね。少なくとも「母親」なのか「父親」なのかくらいははっきりさせて欲しい!
はっ!ひょっとして・・・「両親」?



とまぁこのように自由に想像できる余地がある、ってことは大切だと思うんですよね。


なんでもかんでもハッキリさせりゃいいってもんじゃない。
裏ビデオよりモザイクがいいって時もあるじゃないか!
いや、想像力を忘れないためにもむしろモザイクを尊ぶべきだ!!




そんなことを考えながら眠りに就くのでした。


うん。侘び寂び。
  


Posted by こもれび屋  at 08:50Comments(0)井戸端会議

2018年03月23日

意思決定支援



障がい福祉になじみのない方はご存じないかと思うのですが、「相談支援員」という職種があります。


例えば介護サービスを受ける時、どんなことをどのように使えば今の困りごとを解消できるか?そもそもどんなサービスがあるのかがわからない方は多いわけです。

そこでどんな組み合わせでサービスを受ければいいのか、どの程度費用がかかるのか、などをケアマネージャーというプロが教えてくれて、ケアプランと呼ばれる計画も組んでくれます。


相談支援員というのはこのケアマネージャーの障がい分野版なんですね。


障がいを持った方がどういった福祉サービスを組み合わせて使用してそれによってどのような生活を目指していくのか



それを本人と一緒に考えて「相談支援計画(サービス等利用計画)」と呼ばれる計画を立てていきます。


ケアプランがないと介護保険サービスが利用できないように、相談支援計画がないと基本障害福祉サービスは利用できない仕組みになっています。(一応セルフプランと呼ばれる計画を自分で立てることも可能です)



さて、先日そんな相談支援員の研修、具体的には「意思決定支援」について学ぶ研修に行かせていただきました。


「意思決定支援」というのは重度の知的障がいの方など、自分の意思を他の人に伝えることが困難な方に対してどのような方法で本人の意思を推し量り支援をしていくのか、ということです。


ポイントは

① 意思能力
自分の好き嫌い(意思)を示すことができるか

② 行為能力
ひとりでその行為の結果を判断して行うことができるかどうか

と、問題を分けて考えることです。



「意思」は全ての人にある。
けれど「暴れる」「叫ぶ」といった形でしかその意思を表現するすべを知らなかったり、自分の殻に閉じこもったり人の顔色をうかがいすぎてその意思を示すことができない状態ではないか。

そしてそういった意思能力と別に「欲しいから」と全財産で羽毛布団を買ってしまってはいないか、とか、食費を切り詰めてまで異性に貢いでいないか、といった「行為」(判断)に対する支援が必要なケースもありえます。



いずれにせよ(この人は自分で判断できないから)と、支援をする側が決めてしまっていないか?

という視点は常に持ち続ける必要があります。




例えば「施設に入れるというような、本人の意思を顧みもしない言いざまを、支援をする側がしてしまってはいないか?



「施設に入れる」

なんて、支援者が言っていい言葉ではありません。

「こういった施設もあります」

といった提案なら言ってもよい。





意思を表現できなくても意思はある。

そしてその意思に最大限配慮をしつつ本人の利益を考える


それが支援者に求められる姿勢というものだと思います。  


Posted by こもれび屋  at 08:52Comments(0)福祉

2018年03月22日

ぱんつ問題



やっぱり非公式とはいえ社名を上げて書いているブログですし、福祉の啓発のために尽力しようと決意を新たにしたばかりですし、やっぱり立場とかありますし、かっこつけたいですし、とか思っていたのですが、「今更立場?」とか失笑しつつ言われたので今後はもう気にせずに書きたいように書いていこうとかと思っています。


そんなわけでぱんつ問題。





実は最近ぱんつのゴムが二極化して困っているんです。



ゆるゆるかキツキツ




大体私は10枚くらいのぱんつを穿き回しているのですが、そのうち8枚くらいがゆるゆるかキツキツのいずれかに分類されるわけなのですね。



そうなるとエースは2枚くらいじゃないですか。どうしたって中4日とかになるじゃないですか。

洗濯は毎日しているんですけれど、エースばかり酷使するわけにもいかず、雨が続いたりするとどうしてもキツキツかゆるゆるの2択を迫られることになるんですね。



ゆるゆるパンツはゆるゆるパンツで困りモノ。

確かにはきごこちは悪くない。でもね、半端なゆるさじゃないんです。


風呂上りにゆるパンはいてふわっふわ。



(わぁ!まるではいてないみたい!)





とか思ってたらほんとに脱げてたりするんです。


一歩間違えば犯罪者ですよ。



かといってキツキツパンツも文字通りきつい。

キツキツパンツはもれなくボクサータイプのものだったんですが、なぜか洗うたびに縮んでいきましてね。今じゃ競泳用の水着みたいになっている。

そんな年貢の取立てよりもキツいパンツじゃ農民が悲鳴をあげちゃいますよ。



悲鳴と共にコンニチワ!





一歩間違えなくても犯罪者ですよ。一歩進んだ犯罪者ですよ。



そんなわけで買いに行ったんですね。ぱんつ。




そしたらこんなんあった!




鬼のぱんつはいいぱんつですよこれ!



今日から鬼に金棒です。  


Posted by こもれび屋  at 08:46Comments(0)井戸端会議

2018年03月21日

物忘れ

最近物忘れがひどい。


そんなネタで前にもブログを書いた気もするが、気にしない。
なぜなら物忘れがひどいから。



買い置きの鯖の水煮で晩御飯にしようと思って仕事帰りに缶切りを買いに行ったのね。


前に買った缶切りが


こーゆー缶詰の縁に噛ませてねじをまくと開くタイプだったんだけれど、上手に噛まない上に錆付いちゃってね。どうにも使いづらいから捨てたわけ。



で、やっぱり缶切りはシンプルなやつが一番だよね。ってことで買いに行ったんだ。


ほんで岡崎インター出たとこのダイソーに行ったわけなんだけれど、みかんの缶詰が売ってたんだわ。


上記の通り最近我が家の缶切りは調子が悪かったから缶詰自体買うのを躊躇してたのね。買うとしてもぱかっって開くやつだけでね。
みかんの缶詰って好きなんだけれど、100均あたりで売ってるやつは大抵缶切りが必要なタイプなのね。
みかんの缶詰ってそんなわけで最近は買ってなかったのね。



でもなんせ今日缶切りを買うじゃない?

だから大丈夫!ちゃきちゃき開けちゃうよ!



って思って缶詰は買ったんだけれど、案の定缶切りは買い忘れた。



晩御飯のおかずの鯖の水煮(缶詰)とデザートにみかん(缶詰)


素手で開かないかなぁ




と思ってべこべこやってたら、缶切り使っても開かなそうなほど変形した上にやっぱり開かなかった。  


Posted by こもれび屋  at 08:40Comments(0)井戸端会議

2018年03月20日

(再掲)ヘイトクライム

土曜の朝に何の気なしにニュースを見ていたら中京テレビのウェークアップ!ぷらすという番組がやっていた。

話題は相模原で起きた障がい者施設殺傷事件。
日本の精神病院の平均在院日数。


この表を取り上げてこんな風にアナウンサーが言った。

「昭和58年に起きた宇都宮事件をきっかけに入院期間が短くなってしまった」


「短くなってしまった」だぁ?
入院期間が短くなって何が悪いんじゃコラ

思わずテレビに向かってツッコミ入れてしまった。


日本の精神科医療は人権侵害の巣窟とでも言うべき異常な状態が常態化していた。
上のグラフで平均在院日数が300日を切った平成23年ですら海外と比べればこんなもんだ。



人口比で見ても入院をしている人が異常に多い。


あまりに長くとにかく入院をさせておく、という異常な状態が続いてしまったため、十分に外で暮らせるほどに回復している人でさえも社会での受け入れ態勢がないために退院ができないという状態が今でも続いているのだ。


この異常な状態を正すために当事者の、その家族の、精神科医療や福祉に携わる人々の、どれだけの努力と年月が払われてきたか。そして今現在も払われているか。

何も知らないアナウンサー風情が軽々に結論を出していい問題ではないのだ



措置入院の解除が早すぎたという『結論』を言いたいがために医療保護や自由入院も含めた全入院者の入院期間を引き合いに出すこともミスリードだし、そもそも宇都宮事件が起きた頃の日本の精神科医療が世界的に見てもいかに異常で残酷なものだったのかに触れもせずに語るのもアンフェアだ。


「無知とは罪」とまでは思わない、って前に言ったけれど前言撤回。無知って罪だわ。

少なくとも無知な人間がその足りない知識を元に明らかに誤った知識を周囲に広げるその行為は明らかに罪で、テレビのような強い影響力を持つものは殊更に気を配らなければならない。


そもそも犯人は障がい者なのか?

大量殺人をするような人間は「反社会性人格障害」というような、性格が病気、という診断をされることは実は多い。
アルコール依存症や薬物依存だって精神科の領域で、医学的には臨床だけで語られるエビデンス(根拠)のない状態をひっくるめて「精神障害」と呼んでいる現状、キャスターが語る主張は善良で事件と無関係な人間に「お前はいつ凶悪犯罪を犯してもおかしくない人間なのだ」と無責任に烙印を押す行為ではないのか?


新聞やニュースで今回の事件はしきりにヘイトクライムである、と語られている。
特定の集団に対する憎しみから起こされる罪のことをヘイトクライム、と言うらしい。

だとしたら、「精神障害者」というくくりで「長く入院させておくべきだ」と言ってしまう。そんなキャスターもまた、そのを犯していると言えるだろう。

  


Posted by こもれび屋  at 08:26Comments(0)

2018年03月17日

ドサまわりのススメ



自分としてはそれなりに力を入れて日々更新をしているわけなんですが、先日社長から「営業の心得」といった話を聞いて反省したのですね。



「世にありがちな障がいへの偏見に警鐘・啓発、ありのままを知ってもらうため」



とか立派なことを言って、その目的達成のためにどこまで泥臭くやれているだろうか?、と。



他ブログに足跡を残すでもなく、効果的な宣伝を考えるでもなく、ただただその日思いついた内容を書き散らしている。



これじゃあ日記や覚え書きと変わらないじゃないか



と思ったのですね。



日記がいけないというわけではもちろんないのですが、だったら

「世にありがちな障がいへの偏見に警鐘・啓発、ありのままを知ってもらうため」



なんって立派なこと言っちゃいけませんね。

そしてその逆に、何より心から「なんとしたって障がいというものを、知らない方に知っていってほしい」と思っているのなら、泥臭くてもダサくても、恥ずかしくたってけなされたって、まずは目にしてもらわなければならない。



私が売るほど持っている奥ゆかしさはことこの場面においては封印しなければならないわけなんです。



例えば以前に書いた記事をもう一回載せるのなんて、なんか負けた気がするじゃないですか。

サーセン!ネタが思いつきませんでした!


みたいな。




けれど、それが本当に伝えたいことなら、本当に世間を少しでも変えて行きたいと思うのなら、何度でも載せるべきだと思うんですね。


ランキングの上位も可能なら目指すべきでしょうし、そのためにやれることはまだあるなーと思います。


なので今後(あれ?これ前読んだぞ?)という記事が出てくるやもしれませんが、それはあくまで崇高な志からくるものだということをお断りしておきたいと思います。サーセン。



  


Posted by こもれび屋  at 08:26Comments(0)

2018年03月16日

半ケツ無罪



おっぱいだのもろだしだのって記事を書いておいてなんですが、このブログの目的って実は

「世にありがちな障がいへの偏見に警鐘・啓発、ありのままを知ってもらうため」


でして。


と同時に利用者さんや当社支援員に対して知ってるといいんじゃなぁい?という知識を押し付ける研修的な側面もあったりします。(ミマツどこいった)


そんなわけで今日は制度のお話。


「福祉」、と一言でいっても公的なもの、民間のもの、さまざまあるわけなのですが、制度的には大きく「介護保険サービス」「障害福祉サービス」に分けられます。


介護保険サービス

は65歳以上(または加齢の影響の強い特定疾病にかかっている40歳以上)の方が受けられるサービスで、訪問介護やデイサービス、特別養護老人ホームなど様々なものがあります。
介護認定を受けてその度合いごとに1割(収入が多い方は2割)の負担で受けられるサービス量が決まります。


障がい福祉サービス

は障がいを持った方が利用できるサービスです。
就労支援をはじめとした障害福祉だけにある「訓練等給付」というサービスと、介護保険制度上のサービスだけれど障がいを持った方も利用ができる「介護給付」というサービスに大きく分けられます。(他に相談支援事業という枠組みがありますが今回は省きます)



どちらも収入ごとに負担上限があるのですが、ざっくり言うと介護保険制度の方が負担が重いんですね

つまり同じサービスを受けた時でも介護保険で受けた方が自己負担が重い。

そんな格差に対する初の司法判断が下されます。




「重度障害者が人間らしく生きたいと願うのは、許されないことでしょうか」


と、原告の方が言っていますが、正直個人的にはコレ(うーん…)な話なんですよね。




そもそも社会保障制度には「同一のサービスがある場合は保険(ここでは介護保険です)を優先する」という原則があります。


障害者総合支援法にも「介護保険で同様の給付を受けられる時は、自立支援給付を行わない」という趣旨の規定があるんですね。



 確かに重度ということで負担上限の月15,000円掛かるでしょう。今までタダで受けていたサービスに15,000円払うということとなったら嫌でしょうけれど、そもそもが65歳以上で介護が必要な方は皆所得に応じて負担をしている話なわけです。



それを


人間らしく生きたいと願うのは、許されないことでしょうか


なんて人権問題のように持って行くのは違和感を感じますね。



まぁ厚労省も一律で適用せずに柔軟に運用を行うようにと各市町村に通達を出しており、即違憲でした。とはならないと思いますが落としどころが気になるところ。


注目の判決は今日です。
  


Posted by こもれび屋  at 08:31Comments(0)福祉