2016年12月10日

「案外人は自分のために生きてるよ。周りを見てみな?結局最後は自分を守る生き方をしてるよ」

と言ったことがある。

その人は、不器用で、上手な傷つき方をまるで知らないで、自分が傷ついていることにすら気付かずに、前をじっと見ている 
そんな印象を与える人だった。

どこかケガした野生の豹を思わせるような。


ずっと、自分は「弱い人間が好きなんだ」と思っていた。

PSWになろうと思ったのもそうだし、今でも判官贔屓なところは自分にあるなって思う。

でも、それでも一番好きなのは「弱さ」じゃなくて、やっぱり「強さ」なんだろうな、と今は思う。
「鈍さ」ではない「強さ」。「美しさ」を兼ね備えた「強さ」。「純粋さ」故の「強さ」

「本当の意味で強い人間なんていない。強いフリが出来る人がいるだけさ」

なんて言葉を引き合いに出さずとも、傷つかずに生きてきた。なんて、「鈍い」か「幸運だった」か、ってくらいな意味しかない。

「鈍さ」を取り除いたところに「強さ」を探したら、人はやっぱり皆弱くって、弱さの反対が強さなのではなく、その弱さを超えていこうとする姿勢そのものが「強さ」ってことなんだと思う。

痛みを知っても自分を守ろうとしないこと、それはやっぱりとても強くて美しいことだ。



鈍さ、ではない強さが好きだなって

自分も強くならなくちゃな、って、今は思う。



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Posted by こもれび屋  at 20:14 │Comments(0)語り

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