2017年12月26日
デモと保守
思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。
マザー・テレサ
名言というものはいつも至極もっともで、自分を戒めたり奮い立たせたりするために手に届くところに置いておきたいものなのだけれど、どれだけ素晴らしい言葉でもやっぱり四六時中気に留めて生活をすることなんてできないのです。
上に挙げたマザーテレサの名言にもあるように、思考に気を付けよう、言葉にも気を付けようと思うのだけれど、気が付けばすぐに言い訳をしてしまう。
「でも」「だって」
って。
保守的でいたいだなんて思ったことなくて、このままでいいとも思っていないのだけれど、思っていなかったはずなのだけれど、
(なまけたい)(めんどうくさい)(楽したい)
ともすればそんな楽な方に流されていて、それが「でも」という言葉に出てしまっているのだろう。
「デモンストレーション」の方の「デモ」は、保守的な時も革新的な時も、はたまたリベラルな時にだって使われるものだけれど、
言葉の「でも」を使うときは、いつだって攻める気持ちの時でいたいと思う。