2018年04月11日



兵庫県で16歳の時から25年間檻の中に監禁されていた男性が発見され父親が逮捕されたという事件。


こういうガチなやつはいたたまれなくて心情的にはあまり取り上げたくないのですけれど、日本の精神科医療の歴史を学んだ身としては言っておかなくてはとも思います。


もちろん父親に罪があることも確かなのですが、戦後の日本の精神科医療はあまりに杜撰だった。


精神科病院に入院をすることが、死ぬよりも恐ろしいことだと思われていた時代が確かにあったのです。


妄想に囚われて暴れる息子を閉じ込める


それは近所で噂をされたくないといった保身もあったかもしれない。

けれど息子をそんな場所にやりたくない、という情もそこにはあったのかもしれない、と、そう思いたいのです。


もちろん25年にわたり一人の人間を腰が曲がり、目も見えなくなるほどの環境に監禁した父親の罪は重い。

けれど、社会の側にそうさせてしまった遠因はなかったのか?



もしあったのならば、それを取り除いていくことがこんな悲劇をもう産まないために必要なことだと思うのです。



社会の理解は個人の理解に繋がっています。


こころを病むということ


それに対する理解があれば、知識があれば、起きなかったはずだ


個人の理解は社会の理解に繋がっています。



知らなくちゃ。

そう思って今日も書き連ねます。



Posted by こもれび屋  at 08:44 │Comments(0)

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