絶望的な希望

こもれび屋

2016年08月06日 10:00

古くからある精神病院に研修に行ったことがある。もう10年も前のことだ。



小さな小学校の校舎ほど、全40床ほどの閉鎖病棟。

頑健な男性看護師が中にいる別の男性看護師と連絡を取って、錠のかかった扉を開ける。


そこにはタバコと胃液が混じったような臭いが充満していた。


テレビは全部屋合わせて1台、タバコは1日3本、看護師がベルを鳴らすとぞろぞろと6人部屋から食事に出てくる。

風呂は週2回、就寝は夜8時、インターネットはもちろんケーブルで首を吊られると困るという理由から、あらゆる電子機器は禁止されていた。


夕方研修が終わり、閉鎖病棟にある唯一の出入り口から外に出る。

羨ましそうにうらめしそうに遠巻きに見るのは最近入院した人たちだ。

10年、20年と入院している人たちはもはや退院することすら諦めているかのようだった。


長く入院をしているうちに、家族は「彼らがいない生活」に慣れていく。

病状が安定しても帰る場所が、既にない。



「もう電話してこないでください」


電話ごしにかつての家族の声を聴いた。




結局研修が終わるまでの2週間、その小さな病棟に見舞いにくる者は誰もいなかった。

100坪もないだろう鉄格子入りの窓に囲まれたその建物は、まるで大きな棺のように見えた。


10代でここに入院して40年になるという彼が言った。



「ここで死にたい」



それ以前もそれ以降も、あれほど絶望的な希望を聞いたことはない。

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