2017年10月19日
介護職の人手不足 その実態
介護職が足りていない、というニュース。
介護職の人材不足はかねてより言われていたのですが、ここまでとは
という危機感を覚えずにいられない記事。
相模原市を例に
人口は約73万人、高齢化率は約25%。在宅の要支援・要介護者は2万人弱います。
そこに医師は約1,700人、看護師は4,000人、そしてホームヘルパーは、というと850人しか居ないというのです。
もうダメかもわからんね。
2017年10月18日
尊厳
スパゲッティ症候群という言葉がある。
美味しそうな名前と裏腹に非常に重い話なのだが、終末医療の現場で全身をチューブで繋がれながら生きながらえさせられている姿、それがまるで絡み合ったパスタのように見えることから付けられた名前である。
医療の進歩によってそれまでは亡くなっていた人を存命させることが可能になってきた。
それはもちろん素晴らしいことなのだろう。
ただ、それも行き過ぎると素直に喜べない状況というものが出てくる。
例えば脳死。
その昔、心臓が止まったら人は死んでいた。
送り届けるポンプである心臓が止まってしまえば当然に人は死んでいたし、心臓を制御する脳が死んでしまってもやっぱり人は死んでいた。
しかし人工心肺というものが出来た。
脳細胞が死んでしまっていても、血液を体内に循環させることができるようになった。
言い換えれば脳波が止まってしまっても身体だけは生かせることができるようになった。
まゆつばものだが首から上を切り取っても生かしておける、と言う医師もいるそうだ。
回復の可能性がある植物状態とは違い、脳死には回復の可能性はない。
(そこまでして生かしておくべきなのか)という思いはどうしても浮かんでくる。
スパゲッティ症候群にしても同じだ。
(そこまでして生かしておくべきなのか)
という気持ち。
時に酷い苦痛を伴う延命措置。
年金などの関係で少しでも長く生かしてください。
といいながら、見舞いにもこない親族。
せめて延命措置を希望するか否か
当人が決められるといいな、と思います。
2017年10月06日
助長
フジテレビのバイキングという番組に小林旭が出演してラスベガスの銃乱射事件について言った。
「赤ん坊をひねくってやるのと同じことで、無抵抗の人間だけを狙ってああいうことする人間っていうのは、バカかキチガイしかいないよ!」
その後榎並大二郎アナウンサーが深刻な表情で
「先ほどの議論の中で、精神障害の方に対する差別を助長する発言がございました」
と番組内で謝罪をしたわけなのだがちょっと待て。
その謝罪の仕方だと
「キチガイ」という言葉は精神障害の人に対して使われる差別用語だ
ということになってしまう。
慌てていたのか知らないけれど、謝罪になってないよ。つかむしろ謝罪の内容に対して謝罪しろ。
「蚤の市」というエントリーでも書いたのだけれど、言葉には、実態に近い言葉選びをすることで実態そのものがより周囲に正しく理解されやすくなるという側面はあると思う。
そういった意味からも、人への理解を拒む「キチガイ」なんて言葉は差別用語として消えていくべきだけれど、(言葉だけでなく人の気持ちを変えていかなくては意味がないな。そのためには過不足のない理解が必要だよなぁ)と、榎本アナの慌てぶりを見て思うのでした。