2017年03月13日
背骨
私の背骨の中で小さいきりぎりすが鳴いているような気がするのでした。この小さい、幽かな声を一生忘れずに、背骨にしまって生きて行こうと思いました。この世では、きっと、あなたが正しくて、私こそ間違っているのだろうとも思いますが、私には、どこが、どんなに間違っているのか、どうしても、わかりません。 太宰治 「きりぎりす」より
自分らしくってどんなことなのか?
「自分が思うようにすること」
と答える人もいるかもしれない。
けれど、周囲に気を配って自分の欲求を押しころしたり、抑えたり、というのも、それが自分がそうしたいのならばやっぱり自分らしいと言えるのではないだろうか。
大森靖子という歌手の「ミッドナイト清純異性交遊」という曲の一節に
「大丈夫な日のわたしだけを見つめてよ」
という歌詞がある。
はたから見れば「大丈夫じゃないわたし」も実にその人らしかったりするのだけれど、本人にとってはとても自分らしいとは思いづらい。
結局、「自分らしく」というのは自分がそうありたい自分、自分が許容できる自分自身なのだろう。
「そうありたい自分」って、周囲との関係性の中で「こうありたい」と感じる部分も大きくて、努力だけではどうにもならないこともあるけれど、最後の最後まで折れない背骨を自分の中に持つこと。それが「自分らしさを失わない」ということなのだと思う。