2017年06月28日
執念
大阪でスーツ姿の40代男性が、飛び降り途中のビアガーデンにひっかかり、自力で立ち上がって更に15階下に飛び降りて本懐を遂げた、というニュース。
画像の左の建物がソレらしいのですが、一回目でよく立ち上がれたな、そっから更によく二回目飛び降りたな、といった印象。
自殺をしようとする人に対して「生きていればいいことあるよ」なんて慰めるのは簡単だけれど、死ぬことよりも丁寧に生きていくことのほうがよほど大変なのだということを骨の髄まで理解している人に届く言葉ではない。
病気、お金、自殺の理由の2TOPだけれど、そのどちらも「いつかいいことあるよ」と言われたところで何も解決しないことだけは間違いない。
それでも(死んだ方が楽だしなぁ…)
という言葉を飲み込んで、生きていてくれてうれしいです、と今日も態度で伝えるのです。
2017年06月26日
虐待
虐待、当然にあってはならないものであり、虐待防止委員会というものを当施設でも設置している。
しかし殴る蹴るばかりが虐待ではない、ということは留意をしておく必要がある。
例えば介護の世界で嫌がる認知症の方の体を無理やり拭いたり、医療の世界で幻覚妄想が酷く暴れる患者を拘束したり、「嫌がる相手に無理に何かをしつづける」ということは全て虐待である、との認識は必要だと思う。
当たり前になって行ってしまいがちなのよね。
特に福祉や医療の世界では(相手のためにやっているんだから)(正しいことをやっているんだから)と、疑問を持つことすらしなくなるケースが多い。
自制をこめて。
しかし殴る蹴るばかりが虐待ではない、ということは留意をしておく必要がある。
例えば介護の世界で嫌がる認知症の方の体を無理やり拭いたり、医療の世界で幻覚妄想が酷く暴れる患者を拘束したり、「嫌がる相手に無理に何かをしつづける」ということは全て虐待である、との認識は必要だと思う。
当たり前になって行ってしまいがちなのよね。
特に福祉や医療の世界では(相手のためにやっているんだから)(正しいことをやっているんだから)と、疑問を持つことすらしなくなるケースが多い。
自制をこめて。
2017年06月22日
注文をまちがえる料理店
「注文をまちがえる料理店」というプロジェクトがあります。
注文の多い料理店をイメージする名前を持つこのお店、ちょっと嫉妬するほどに楽しいプロジェクトなのでご紹介します。
ホールスタッフが全て認知症の方、という試みで、あらかじめまちがえるかもと言ってあれば、間違えたっていいんじゃないかなというコンセプト。
特に
ハンバーグが餃子になったって、別にいいんですよ。誰も困らない。おいしけりゃなんだっていいんです。それなのに「こうじゃなきゃいけない」という鋳型に認知症の方々をはめ込もうとすればするほど、どんどん介護の現場は窮屈になっていって、それこそ従来型の介護といわれる「拘束」と「閉じ込め」につながっていくのかもしれない。
とか
「間違えちゃったけど、ま、いっか」。認知症の人も、そうでない人もみんながそう言いあえるだけで、少しだけホッとした空気が流れ始める気がする……
とか社会における「寛容」の意味とその大切さをカタチとしてわかりやすく示していて、すばらしいと思います。
自分もこういった「やさしいせかい」を両手が届く範囲だけでも築いていきたいと思います。
2017年06月20日
決まり
決まっていることを変えていくのには大きなエネルギーが必要となる。
たとえそれが間違っていても、新たな知見により過去のやり方となっていても「いつものやり方」のままでいた方が楽だからだ。
そもそもがそれが間違いだ、と気が付くことが難しい。
介護の世界では清拭を行う時に
①顔
②手足
③陰部
の順番で行う施設が多いと思う。
当時は衛生的な感覚でその順番になったのだろうが、現在の衛生学では人体で最も細菌が多いのが口、次いで手だという。
なので衛生的な面を考えればまず股間から
というのが正しいのではなかろうか。
まぁ股間拭いたタオルで顔拭かれたらイヤなのでそこは別のタオルにするべきっすかね。
こんな例はいくらもある。
「初心忘るべからず」
世阿弥が能楽の修行について言った言葉だそうだ。
そういった過ちに気付けるように、常に初心を振り返ることを忘れないようにしたい。
たとえそれが間違っていても、新たな知見により過去のやり方となっていても「いつものやり方」のままでいた方が楽だからだ。
そもそもがそれが間違いだ、と気が付くことが難しい。
介護の世界では清拭を行う時に
①顔
②手足
③陰部
の順番で行う施設が多いと思う。
当時は衛生的な感覚でその順番になったのだろうが、現在の衛生学では人体で最も細菌が多いのが口、次いで手だという。
なので衛生的な面を考えればまず股間から
というのが正しいのではなかろうか。
まぁ股間拭いたタオルで顔拭かれたらイヤなのでそこは別のタオルにするべきっすかね。
こんな例はいくらもある。
「初心忘るべからず」
世阿弥が能楽の修行について言った言葉だそうだ。
そういった過ちに気付けるように、常に初心を振り返ることを忘れないようにしたい。
2017年06月19日
父の日
「おとうさんだいすき!」
しばらく更新やめちゃおっかな~
とか思っていたところにこのハードパンチ。
こりゃあ書かざるをえませんぜ!
美っちゃんて何歳くらいなんですかね。
永遠の17歳のような気もしなくもないけれど、時々主婦っぽいし、でもお料理大好きでお母さんのお手伝いをする良い子なのかもしれない!そんな年齢不詳なところもまた魅力なのかもしれませんね。
さて、問題の「おとうさんだいすき!」ですが、
素直にこんな言葉を言えるのって小学生までだと思うのですよ。
中学つったら反抗期、二十歳を過ぎたら逆に照れくさくって言えない…。
美っちゃんさすがに小学生ってことはないでしょうからこれはますます永遠の17歳説が現実味を帯びてくるわけですが、問題はこの「おとうさんだいすき!」が、
ひらがなだ
ということなのです。
「お父さん」
「大好き」
と実に2か所も漢字にできるポイントがありながら、あえて「おとうさんだいすき!」とひらがなにしている。
これは疑いようもなく「小学生っぽさを出すことによって父のこころをくすぐってやろう」という狙いなわけで、
ええ!くすぐられましたとも!!
とひとしきり盛り上がったところで上にあった画像に気が付いた。
えーっと…おとうさん、ですよね?
2017年06月06日
更新
滞っているなぁ
普段なかなかゆっくりと話できない人に向けても書いているんだけれどなぁ
と気になりつつも忙しくって後回し。
多分今月半ば過ぎまでは忙しすぎると思いますです。マル。
普段なかなかゆっくりと話できない人に向けても書いているんだけれどなぁ
と気になりつつも忙しくって後回し。
多分今月半ば過ぎまでは忙しすぎると思いますです。マル。
2017年06月02日
やろうとすること
言葉の定義をしたところで実体が変わるわけでもないが、忘れがちなスタンスを再確認するためには役立つ時がある。
「福祉」とは
福祉(ふくし、英: Welfare)とは、「しあわせ」や「ゆたかさ」を意味する言葉であり、すべての市民に最低限の幸福と社会的援助を提供するという理念を指す。
wikipediaではそうなっているが、自分の中ではもっと直截的な言葉と思っている。
つまり
出来ないことを「いけないことだ」と思わないこと
作業をしていると、いろいろとやらなくてはならないことがあって、ついついそれを行う人について「できる」「できない」で判断してしまいがちになる。
「やろうとしないこと」はいけないことかもしれないが、「やろうとしてもできないこと」をそれと混同しないようにしたい。
そして、それが%でも出来るようになるために何ができるのか
に知恵は絞るべきだ。
最初っからできる人なんていないしね。