2017年11月09日
そこにいて、そばにいて
貧困家庭について書かれた記事を読んで思うところがあったのでひとつ。
特に
「同じ貧困家庭の子でも、けなげに頑張る子は応援してもらえるけど、ヤンチャな子はメディアに取り上げてもらえないですよね。貧困に限らず、『子ども観』の問題なんだと思います」
「例えば不登校でも、リストカットするような子が学校に来たら大人は『よく来たね!』って喜ぶけど、ゲーセンばっかり行ってるヤンチャな子が私服で学校に来たら『帰れ!』って言うんですよ」
という部分がささった。
日々フクシの仕事をしているわけだけれど、愛嬌のある人、頭のいい人、かっこいい人、けなげな人・・・・そういった「容易く力になりたい、と思える人」もいれば、そういった とりえ のようなものがなかなか見いだせない人もいる。
もちろんそこに支援者として差をつけることのないようにとは思うのだが100%同じように接することができてはいないかもしれないと思う。
もうずっと以前に親戚と
「お金があったり、容姿に恵まれていたり、やさしかったり、力があったり、賢かったり、誠実だったり、そういった魅力のある相手にやさしくすることは簡単だ。
けれど、貧しく、美しくもなく、意地悪で、不真面目で、怒りっぽくて・・・そういった、何も持っていない人にやさしくすることは難しい。」
そんな話をしたことがある。
返ってきた答えは
「かわいくもなく、マジメでもなくて、キレやすくて、卑怯で、そんな人にやさしくする必要がそもそもあるの?」
だった。
けれど、そういった、なにももっていない人こそ助けを必要としていると思うのだ。
なにかをあげちゃおう!とか、与えてやろう!とか、おこがましいことは思えないけれど、
まずはそこに居て、そばに居て、楽しく過ごす時間がそこにあるといいな、と、思っている。